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新美南吉と安城




1.生涯について
南吉の作品は、「新美南吉童話全集」全3巻-昭和35年-「新美南吉全集」全8巻-昭和40年-「校定新美南吉全集」(12巻・別巻2巻)-昭和55年-他におさめられている。全集発刊可能なほどの作品をかいているが、南吉は30歳に満たない生涯をおえている。

南吉(本名正八)は、大正2年(1913)愛知県知多郡半田町字西折戸(現、半田市岩滑町)に生まれ、大正10年(1921)母の実家の養子となる。(この時、渡辺姓から新美姓となる)半田第二尋常小学校(現、岩滑小学校)・県立半田中学校(現、半田高等学校)を経て、昭和11年(1936)東京外国語学校英文科(現、東京外国語大学)を卒業した。その後、約二年間、病気、失業などの苦悩を味わいながら東京での就職、河和小学校、及び杉治商会の勤務を経て、県立安城高等女学校に就職した。

安城高女への赴任は、昭和13年(1938)4月のことであり、日中戦争の始まった翌年のことであった。以後、約五年間安城において、生徒の指導にあたると共に、創作活動に励み、代表作の「おぢいさんのランプ」・「牛をつないだ椿の木」・「花のき村と盗人たち」などの童話や詩・小説などを発表し、生涯のうちで最も充実した時代を過ごした。その間、昭和14年4月から安城新田の下宿先(大見坂四郎方)から通勤した。しかし、生来の病弱と過労のため健康を害し、喉頭結核によって昭和18年(1943)3月22日、半田の自宅にて病没した。4月18日の葬儀には、東京から南吉の文学の師、巽聖歌らが参列している。
生前、最初の著書「良寛物語 手毬と鉢の子」(昭和16年10月1日発行)及び最初の童話集「おぢいさんのランプ」(昭和17年10月10日)を発刊した。

2.教師としての南吉
南吉が赴任した当時の安城高女は「各学年とも一学級の全校生わずか200名足らずと、職員は校長の他に、11名という小世帯の学校であった。」南吉の教科担任は、「全学年の英語、一、二年の国語及び一、二年の農業であり、事務分担は、図書館であった。」ここで一年の学級担任となり、同一学級を四年間持ち上がり昭和17年3月に卒業という形で送り出した。したがって、学級担任としては、この学級一学級のみである。この間、教師としての信条む、「洽く、温く、厚く、卓る」によって指導力を発揮した。生徒たちは日記を書くことによって自己を見つめ、自然を素直に自分の目で見とどけ、ことばによって表現する学習の楽しさを知って、戦時下の女学生時代を過ごした。このように、南吉の文学に対する情熱を強く受けていた。

この間の生徒たちの詩は「南吉と生徒の詩集」によって今も見ることができる。この詩集は六分冊からなり、昭和14年2月の第一詩集からはじまり、昭和14年9月の第六詩集まで続いている、詩集名と発行月は次のようである。
  第一詩集  雪とひばり      昭和14年2月  
  第二詩集  縁側の針        昭和14年3月 
  第三詩集  沈丁花と卵      昭和14年4月  
  第四詩集  麦笛            昭和14年5月 
  第五詩集  五月雨の土蔵    昭和14年6月 
  第六詩集  星祭り          昭和14年9月 
これらの詩集は、生徒から詩を募集し、みずから原紙をきり、わら半紙に印刷したものを四つ折りにして綴じた冊子である。指導にあたって南吉は、「ありのまま書きなさい。感じたことは、飾らないでそのまま書きなさい。」と助言し、生徒たちは、南吉の指導にもとずき、何かか書かなければならないという気持ちを強く持ったといわれている。教え子の一人は、「当時は、ありのまま書くことは、何か新鮮といいましょうか、何か変わったことをしているような気がしたものです。」と語っており、南吉の指導の新鮮さが感じられる。

第一詩集「雪とひばり」の冒頭には、南吉の詩「はじめに」と書かれた
  生れいでて 舞ふ蝸牛の 触角のごと
  しづくの音に 驚かむ
  風の光に ほめくべし
  花も匂はゞ 醉ひしれむ 
の美しい詩がみられる。この詩が現在、安城高校の中庭にみられる詩碑の文である。(中略 戦時体制の紙不足のため詩集中断の事情)

この教え子たちが入学したのは、昭和13年4月で卒業は、昭和17年3月である。卒業の前年12月、太平洋戦争がはじまり、学校も戦時体制下であった。そんな中で女学校教師の南吉が教え子たちに送った色紙、短冊が現在も大切に保存されている。(中略)

卒業後も南吉は、級報「雪とひばり」を教え子に送っている。この恩師について、「先生にめぐり会ったことが人生の方向を決めたといってもよいと思います。まず書物に親しむようになったことや、物事を詩的にみることができること、苦しくつらいことも美化できることも、先生の指導のおかげだと思います。」と語られるなど、教えを受けた生徒としての感謝の気持ちが伝わってくる。
南吉は、持てる才能を発揮する場を得て、教師として詩人として、安城において短い人生の一時期を教え子とともに歩んだのであった。


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サルビー