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「安城の新美南吉」

座談会 新美先生の思い出
●昭和50年10月25日
●於:安城市民会館
昭和50年秋から安城市立図書館の主催で新美南吉に親しむ講座が開かれた。
その3回目に7人の教え子による座談会が催され、それまで知られなかった 教師時代の南吉を語って好評を博した。
これはその録音テープから文章に直されたものである


-主催者挨拶-(図書館長)

中野
 ただ今から、新美南吉に親しむ講座第3回を、行いたいと思います。一時間半にわ たりまして、新美先生の教え子の皆さんに、先生の思い出を語って頂きます。たくさ んの教え子の方においで頂いて、本当に有り難いと思っております。皆さま方は、大 変お忙しいなかを、遠く東京から、或いは名古屋、半田、そして地元安城から、わざ わざお越し頂いたわけでございます。 会場の後方の机の上に、新美先生が生徒に贈られた色紙や、手紙、その他、数々の ゆかりの品々が並べてございます。後ほどごゆっくりとごらん下さいますように。
この講座の司会につきましては、神谷素光先生にお願いしてありますので、ここで 司会のバトンを神谷先生にタッチいたします。

神谷
 それではただ今から、座談会を始めたいと思います。新美南吉先生が、教員として 安城にお見えになりましたのが、昭和13年の4月であります。そして、昭和18年 の2月まで、約5年弱という間、教師として、はた又、童話作家として、この安城の 地に親しんで頂いたということです。この講座の1回、2回につきましては、研究者、 評論家という方にお話をして頂きましたが、今日は、実際に南吉先生のお姿を見、声 に接し、身近に学校生活を共にして下さった教え子の皆さんに、集まって頂いて、お 話を聞くことに致したわけであります。と、言いますのは、作品とか、日記とか、そ ういうものをお読み頂いて、それぞれの、南吉先生に対する感想なり評論なりという ものが、随分たくさん出てくるようになりました。 しかしながら、それらの人達の大部分が、ほとんど南吉先生に接したことのない人、 いつでも批判的に、批評的に物を考え、見、書くというような方達だったものですか ら、今日は教え子の皆さんに、南吉先生の素顔を話して頂きたい、と思っています。 皆さんが小学校を卒業して、安城高等女学校に入学されたのが、満でいえば12歳 ですね。そして、南吉先生はその時、年齢は25歳ということになります。若い青年 教師としてみえて、この12歳の少女たちの担任を、4年間なさったわけです。
 とにかく、いま皆さんがお考えになると、判ると思うのですけれども、一人の教師 で、4年間担任をして頂く機会というものが今日ではないですね。ところが、大変す ぐれた才能を持った先生に教わった方達なんです。  実は、今日来て頂くにも、南吉先生のことは自分の胸の中にそっとしておきたいと いう、お気持ちが大変に強いように感じましたけれども、折角こういう講座を開いて いますので是非、ということでご足労を願った-と、こういうことでございます。
 さきほどもご紹介がございましたが、安城在住の加藤さんが、たいへん骨を折って 下さいましたので、今日ご出席の皆さんのご紹介をですね、加藤さんの方からして頂 くことにいたとます。よろしくお願いします。

-出席者紹介-


加藤
 それでは、私から左に、席順に、紹介させて頂きます。  私の隣にいらっしゃるのが尾藤さちさん旧姓杉浦さん。尾藤さんは全学年を通じて 品行方正、成績優秀、常に、クラスの優等生でいらっしゃいました。人柄は優しくて、 謙虚で、いつもにこにこしていて、クラス全員の尊敬のまとでもいらっしゃいました。  おそらく誰も、その当時尾藤さんを追い越して一番になろうとは考えなかったので はないかと思います。そういう点で、新美先生に最も信望の厚かった生徒であられま した。先生の亡くなられた直後、半田に嫁がれまして、そこでもまた、クラスの者に 代わって先生のお墓の守りをして頂くような立場にたたれ、私ども、心づよく思って おります。  次は、竹内孝子さん。旧姓佐治さんとおっしゃいます。竹内さんは、南吉の日記の 中にしばしば出て参りますところの、佐治校長先生のお嬢さんでいらっしゃいます。 新美先生は、この佐治先生のご尽力で安城高等女学校に就職されまして、「やっと不 遇な時代から解放され、生活の場を持つことができた」と、押さえ切れない喜びを書 き残していらっしゃいます。  竹内さんは、転校生で、知性豊か、特に情緒の面では、当時の私どもよりずっと大 人でいらして、幼いクラスのムードを引き上げて下さったものです。  新美先生と、しゃれた会話のできた方ではなかったでしょうか。  次は、清彰子さん。旧姓中川さんとおっしゃいます。  清さんも、やはり転校生でいらっしゃいますが、竹内さんと同様にクラスのムード づくりに一段と花をそえられました。当時から、読書好きで、清さんの都会的な雰囲 気と文学性は、新美先生の教師生活に、期待と励みをもたらされたのではなかったか と思っております。  そして、鈴木秀子さん、旧姓木村さんとおっしゃいます。  鈴木さんは、私ども田舎育ちののんびりした生徒とはちがいまして、外地にお生ま れになり、大陸育ちのそのままに、早くからはっきりと、自己主張のおできになる生 徒でいらっしゃいました。新美先生とは、家庭事情を通じて、個人的にかなりお世話 になり、ご迷惑をおかけしました-と、述べていらっしゃいます。  今日はその辺の思い出話を、つまり新美先生が生徒の家庭のむずかしい問題に対し て、どのように対処なさったか-そして、子供心にそれがどのように感じ、影響され たか-などを語って下さることと思います。  次は、本城良子さん、本城さんは生粋の安城っ子でいらっしゃいます。 恵まれた家庭と健康な身体、頭のいい子、およそ、子どもにとって、それは最も幸せ な条件です。その中でのびのびと、明るく勉強していらっしゃいました。  今は、中学校の教師をしていらっしゃいまして、今日はその立場から過去を振り返 って語って下さることと思います。  最後に、馬場貞さん、旧姓後藤さんとおっしゃいます。  今日、この会場のうしろに展示させて頂きました詩集とか色紙など、女学校当時の 思い出の品の数々を、卒業以来ずっと35年間も大切に保存され、南吉研究家や愛好 家のためにも、貴重な資料として役立たせてこられました。  これらの資料が残っていたということは、同級生でさえも驚いております。  「一体あなたはどういうお気持ちから、これらのような品を大事にしまってこられ たのでしょうか」やぼな質問をいたしましたら  「私は、女学校の4年間が本当に楽しかったから。  また、作文が大好きだったから作文を通して新美先生のイメージがとても強かった から。  それは、多分、私の作文にいつもいい点をくださったからではないでしょうか」と 笑って答えられました。  おそらく、馬場さんは、生活に疲れた時、それらの品をそっと覗いて見ることで、 なぐさめていらしたのではないかと思っております。  おわりに、私が加藤、旧姓山口と申します。平凡な一生徒でありました。  ただ、新美先生の影響で、本を読む楽しさを覚え、安城で先生がご贔屓だった、こ の本屋(日新堂)に嫁ぎまして、今は、先生の本(著作)を売らせていただく立場に 相成りました。  不思議なご縁だとしみじみ感じております。  以上で、紹介を終わらせて頂きます。

神谷
 大変、加藤さんが文学的な紹介をして下さいまして、司会はいらなくなったような 感じです。(笑)私、今、お話を聞いていながら、この間も加藤さんとお話をしたの ですが、教え子の皆さんの人数は、54人だそうですね。南吉先生に担任を受けられ た方が、一年の時は、写真でみますと、52人のようですけれども、卒業される時に は、出入りもあったんてしょう-54人だそうで。  で、いずれもそれぞれ個性があって、大変才能に恵まれた女性達だったそうです。  私はそれを聞きながら、もし、南吉先生が男子の学校に勤められたら、どうだった ろうかな、と、いう欲目を感じたわけですが、女性であっても、童話作家の方がみえ るほどです。(故山本知都子)  先だってお話を聞きましたら、大府から市議会議員で出てみえる方もおありになる ようです。やはり、先生から教わった4年間というものは、この方々の一生を貫いた ような感じを受けたのであります。  先生は東京外語を出られましたけれども、自分の目的とする就職ができなくて、一 時、東京で就職をされていて、病気になられて半田へ帰られます。  ところが、病気だものですから、職がなくて、代用教員をされたり、近くの商事会 社に勤めたりされて、精神的にも、肉体的にも、大変不安定な、生活をされていまし た。やっと佐治先生のご紹介で、安城の高等女学校の教員としてお見えになったわけ です。  それと同時に、今日ここにいらしている皆さんが、入学試験を突破して一年生とし て入学してきた。そして担任されることになるわけですね。 大変先生も張り切っていて、もう、晴れ晴れとした気持ちで、赴任されたと思うので すけれども、その辺りのですね、先生と出会った印象とか、といったようなお話を少 し聞こうと思うのですけれども。  本城さんからちょっと言って頂きたいと思います。


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サルビー