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更新日:2018年2月16日

新編安城市史9資料編「民俗」

 解説   / 監修のことば / はじめに / あとがき

  

 序

 安城市長  神 谷  学
 

 安城市は昭和二十七年、県下一三番目の市として誕生し、本年度、市制施行五十周年の記念すべき年を迎えました。ここに、郷土の発展に尽力された先人に深い敬意と感謝の意を表しますととも に、これまでの歴史を回顧しながら、二一世紀の輝かしい未来に向けて新たな安城市を展望する意義ある年度といたします。
  さて、昭和四十六年及び四十八年に『安城市史』及び『安城市史資料編』を一巻ずつ発刊してまいりましたが、その後、社会情勢は目まぐるしく変化するとともに、市民の郷土史に対する関心の高まりや新しい歴史資料の発見などにより、平成九年度から新たな市史編さん事業に着手いたしま した。市史編さんの基本方針は、市民に親しまれ活用される市史を目指しますとともに、近年の研究成果をふまえ、安城市域を中心に旧碧海郡や西三河も視野に入れた市史といたします。市民一人ひとりにつながる歴史や風土の特徴を捉えた市史を編さんすることは、二一世紀を展望する手掛かりを得るために必要なことであると考えております。
  このたび、市制施行五十周年事業として『新編安城市史』全一一巻の内、初刊となります「九 資料編 民俗」を発刊できますことは、この上もない慶びであります。民俗とは私たちが長年培ってきた伝統的な暮らしの歴史でありますが、近年これら古きなつかしい習慣が加速度的に失われつつあ ります。本編では、後世にぜひとも伝えておきたい安城の民俗をわかりやすく親しみやすい内容で 編さんしたものであります。
  終わりに、本事業に多大なご尽力を賜りました市史編さん委員並びに編集委員及び執筆者各位に衷心から感謝申し上げますとともに、面談や貴重な資料を提供していただきました多くの方々に心からお礼申し上げ、発刊のごあいさつといたします。

   平成十五年三月

  

 監修のことば

 安城市史監修者  新 行 紀 一
 

 平成九年度から開始された『新編安城市史』編さん事業は五年を経て、全一一巻の初巻として「九 資料編 民俗」を刊行することとなりました。全巻刊行終了は平成十九年度を予定しております。
  新しい市史の編さんが行われるに至った理由はいくつかあります。先回の市史刊行(本文編・昭和四十六 年、資料編・昭和四十八年)から三十年余を経過して、安城市の状況は大きく変化いたしました。一例を挙げれば、人口は約六万人増加しました。それを促進した農地の宅地化や大規模住宅団地の創設、JR安城駅前都市改造事業、新幹線三河安城駅開業、デンパークの開園、さらには更生病院移転などで市域の景観は大きく変化してきました。農業構造改善などの大規模土地改良工事によって矢作川流域低地に作られた中世の大規模遺跡があることがわかってきました。野寺町本證寺の開基慶円上人の木像には、胎内銘文があることが修理で知られました。また、同寺の江戸時代の古文書九〇〇〇点余の調査も行われました。これらはほんの一例でありますが、各方面の発見を広く市民にお知らせするとともに、市制施行五十年を経た安城市と市民の多様な活動を検証するために、現在の学問的水準をふまえた市史の編さんが計画されたのであります。

  前市史二冊は合計二三〇〇ぺージ余りでしたが、市域の歴史を原始時代から現代(昭和四十年ごろ)までの通史として叙述した愛知県内では最初の自治体史として、国家中心の枠組みを大きく変えた地域史として、 その後の自治体史編さんに大きな影響を及ぼしました。また、完成後に始められた市内在住執筆者による 「市史を読む会」的活動は、九組織、二〇〇人を超える市民の自主的研究活動に発展し、多くの成果を上げています。学校教育における地域学習は、近隣市町村のどこよりも高い水準にありますし、平成三年開館の安城市歴史博物館は、中都市の歴史系博物館として最高水準の活動を行って、全国的に注目されております。
  このような輝かしい成果を受け継ぎつつ、新しい市史は次のことを目標としています。なによりもまず、 近年の研究成果をふまえた幅広く活用される市史を目指します。これは通史編四巻(原始・古代・中世、近 世、近代、現代)で約二八○○ページ、資料編七巻(古代・中世、近世、近代、現代、民俗、考古、自然) で約四六〇〇ページという構成からもご理解いただけると思います。しかも、現安城市域を対象としながらも、より広域の旧碧海郡、西三河さらには全国を視野に入れております。

  通史編は当然のことながら、わかりやすい記述と前市史の不足がきちんと捕われたものでなければなりません。その点では、「九 資料編 民俗」における真宗優勢地域の民俗と信仰の実態の解明は、「真宗地帯には民俗はない」という極言がまかり通っていた時代を知る者にとっては、感無量というところです。この三十から四十年の間に、社会の変化に伴って民俗行事や習慣も大きく変化してきました。現時点で描き出された庶民生活の諸相は、ほぼ昭和三十年代までは続いていたものの、その後に変形・消滅した部分が多くあります。 それでも現在の市民生活の様相を知る材料に事欠きません。変化の前後を意識した学問的調査記録が残されることは大きな喜びであります。
  歴史の研究と教育の第一線にいる方々によって、全一一巻の予定通りの刊行に向けて、多様な努力が積み重ねられています。市民各位を始めとする広範な方々のご支援を心からお願いして、第一冊刊行のごあいさつとします。

  平成十五年三月

  

 はじめに

 市史編集委員(民俗部会長)  野 地 恒 有
   同      (民俗部会)  日 比 野 光 敏      
 

本書が対象とするもの

 『新編安城市史 九 資料編 民俗』(以下、『民俗編』とする)では、私たちの世代よりも前の世代、さらにその前の世代から受け継がれ、私たち自身につながってきている生活が描かれている。『民俗編』で取り上げられているのは、私たちの生活の中にある伝承的なものといえる。伝承的なものとは、親の代から受け継がれてきた知識や決まりなどに基づいた行いやことがらのことである。たとえば、決まったときが来るとくり返し行われることや、誰が決めたわけでもないが、その土地特有のやり方で進められてきていること、経験的に得られた知恵に基づいた生き方や行動などである。伝承的な特徴を持った生活は、時代時代によって変化してきている。ことに、現代生活の中では、そのような生活の特徴は少なくなってきたり、失われてきたりしている。それでも、中には、現代生活の中で、形を変化させながら続いているものもある。このような生活のさまざまな姿、人の暮らしぶりを記録したものが、この『民俗編』である。

 執筆の方針

  『民俗編』を書くための材料は、さまざまな伝承的な生活を経験されてきた方々から話を直接お聞きしたり、実際に行われていることを直接見たりすることによって集められた。それらの材料を集める調査は、平成十年から平成十四年の間に行われた。『民俗編』は、現時点で集めることができる新鮮な資料で書くことを基本とした。
  この調査では安城市のいろいろなところにお邪魔し、いろいろなものを見せていただき、いろいろなお話を聞かせていただいた。『民俗編』は、多くの市民の方々のご協力により成り立っているのである。
  さて、多くの市町村史の民俗編は、その地の民俗事象を「社会組織」「衣食住」「年中行事」などというようにジャンル別に区分し、それにしたがって細かに記録されている。そうして、その一冊の中に当該地域の民俗事象がすべてもらさず網羅されている、すなわち「○○市(町村)の民俗大辞典」であることが目指されているようだ。
  しかしながらこの『民俗編』は、そういう方針のもとで編集されてはいない。
  『民俗編』の執筆者は一〇名で、一部を除き節をひとつずつ担当した。その章立てを考える際、方針として立てたのは、安城市の民俗世界をどう区分けして誰がどこを分担執筆するかではなく、それぞれの執筆者が安城市を捉えるにあたって何か重要だと考えるのか、である。各人が自らの研究領域や興味対象に基づいて主題を選び、その主題をとおして各人が捉えた安城市の民俗的世界の記述により『民俗編』は構成されている。各節には一一の主題により捉えられた安城市の民俗像が描かれており、そのひとつひとつを独立した民俗誌・生活誌として読んでいただいてもよいようになっている。一一の主題により捉えられた、いわば、一一面体の安城」が書かれているのである。
  したがって、あることがらが複数の節で重複して記述されていることもあるし、結果的に、ある分野の民俗事象にはほとんど触れられていないこともある。また、用語や表記法などは、極力統一したつもりである が、執筆者の意向により、一部異なる表現をしている箇所もある。「民俗大辞典」型の民俗編に慣れておられる方々には、一風変わった仕上がりになっていることであろうが、こうした執筆方針によっていることを了解されたい。
  もちろん、記事の作成にあたっては、一部の研究者のみを相手にするのではなく、できるだけ多くの方々に読んでいただけるよう、克明にわかりやすく伝えることに心を砕いた。

 記述されている地域・時代・人

  『民俗編』が対象とする地域は、テーマにより市外・周辺地域のことにも触れたが、いうまでもなく安城市である。
  けれども、安城市の民俗、すなわち「人の暮らしぶり」は、当然のことながら一様ではない。たとえば、 村落社会のしくみや年中行事の行い方などは「同じ安城市内でも、ところによって違う」し、「昔と今とでは違う」と言わざるをえない。着物や食べ物について問うたところでも、「昔は今と全然違っていた」と言う指摘がある上、「お金持ちの家とそうでない家とでは違う」と答えられることだろう。一〇人いれば一〇とおりの生活様式があるごとく、ひとくちで「安城市の民俗」を語ることは不可能に近い。
  加えて、執筆者は、全安城市内を対象に聞き取り調査を実施したわけではない。限られた時間の中で調査に赴いた地点は市内全域というには遠く、全人口に比べればごく一部にすぎない人からしか話をお聞きしていない。しかし、こうした調査でも回を重ねることにより、「伝承的な特徴を持った生活」をおぼろげながらに把握することができてくる。そして、いつのころのどの地域の、どんな人々のことがらを書けば、安城市の民俗として最大公約数的な記述となるのか、がみえてきたのである。
  『民俗編』に書かれている内容は、基本的に「今ご健在の方々」からお聞きした体験談が最も大きな資料となっている。よって、一部「親から聞いた話」「記録となって伝わっていること」などの伝聞話を除けば、 おおむね昭和初年が時間的に最も古い時代だといえる。逆に新しい方は、昭和三十―四十年代、つまり多くの家庭が「伝承的な特徴を持った生活」から脱却したと思われる高度経済成長期あたりが下限となる。民俗誌の時代設定としては妥当なところであろう。
  なお、戦中戦後の混乱期を「伝承的な特徴を持った生活」の時代の一部とみるか、史上きわめてまれな時代とみるか、議論が分かれるところであるが、その取り扱いについては各執筆者の判断に一任した。 市内のどの地域での聞き取りを主資料とするか、どのような方々の声を代表させるかも、基本的に各執筆者の判断である。お読みいただいた方から「なぜここの地区のことばかり書いてあるのか」というご批判を受けるかもしれないことは、各人がみな承知である。たいていはその理由めいたことがどこかに記述してあ るはずであるが、あえてまとめてそのお答えをさせていただくならば、「当該のテーマを語るには、安城市の中でもその地区が最も適当だと執筆者が判断したから」である。
  先にも述べたとおり、本巻は執筆者がそれぞれ自ら選んだ主題に沿って各節を記している。主題が異なれば調査地点が異なるし、それぞれの興味対象に基づいて聞き取り対象者を選択するのも当然のことである。 一見、「安城市のごく一部のことしか書いていない」と思われるかもしれないが、記事が作成されるまでには、より一般的な「伝承的な特徴を持った生活」の記述となるよう、各執筆者は配慮したつもりである。

 『民俗編』の使い方-とくに中高生のみなさんへ

①興味のあるところから読んでみよう

 『民俗編』は、日々の学習や自由研究などにおいて、みなさんが安城市の民俗、郷土の民俗を調べたいと思ったときに、第一に参考にしてほしい資料集である。この『民俗編』は、安城市の民俗が一一の主題から書かれているが第一章から順番に読んでいく必要はなく、興味関心のある章からひもといてもらえればよい。 そこから、みなさんの身の回りにあるさまざまな民俗を知ることによって、みなさんが生まれる前の世代から伝えられてきた文化や郷土の歴史を学んでほしい。

②『民俗編』を持って飛び出そう

 『民俗編』を手にとって調べて読んでもらったら、是非とも、この『民俗編』を持って、安城市内に飛び出してほしい。『民俗編』に書かれていることを写し取ることだけが、郷土を学ぶことや研究することであると思ってはいけない。『民俗編』を持って外へ飛び出したら、みなさんのおじいさんやおばあさん、あるいは土地土地の人たちに「この本にはこんなふうに書かれているけれども、ここではどうですか」と聞いてみよう。また、実際に行われていることがあったら、『民俗編』に書かれていることを参考にしながら、参加してじっくりと観察してみよう。

③実際に見たり聞いたりしたことと『民俗編』の内容と比較してみよう

 実際に見たり聞いたりして、『民俗編』に書かれている内容を再確認するだけではなく、その内容と異なっている点を見つけてみよう。私たちの生活は、地域により時代により、さまざまな姿を見せている。みなさんが見たり聞いたりしたことと、『民俗編』のどこが同じでどこが異なっているか、探しだしてみよう。 『民俗編』の内容と異なることが出てきたら、それは一つの発見です。研究というものは、それがどんなに小さな発見でも、発見の喜びに支えられているといってよいでしょう。そして、なぜ、みなさんが見たり聞 いたりしたことと、『民俗編』に書かれていることが異なっているのか考えてみよう。
  『民俗編』を書くということは安城市の歴史を刻むことである。『民俗編』は、後世に残すべき民俗資料集となることを目標とした。しかし、『民俗編』に書かれていることが安城市の民俗に対する唯一無二の解答ではない。『民俗編』はみなさんが調べるに値する正確な資料集であるとともに、みなさんが自ら郷土を調べてみたくなる気持ちが起こり、その調査や研究の道しるべになる書でもありたいと考えている。

 愛知県における安城市の民俗の位置付け

 民俗部会は、平成十年六月に、安城市内の町内会にご協力いただき、民俗アンケート調査を実施した。その結果、六一通の回答が寄せられた。表は、回収した民俗アンケート調査票の結果を集計したものである。

《表略》

この集計結果を、昭和五十二年度と五十三年度に愛知県教育委員会によって実施された愛知県全域の民俗分布地図(愛知県教育委員会編『愛知県民俗地図』昭和五十四年)と比較して、安城市の民俗の特徴をみてみよう。
  出産が家で行われていたころ、胞衣をゴザン(後産)といって、それを決まった場所に埋めるということが行われていた。ゴザンを埋める場所は地域によって異なっていた。集計表の質問番号19では、その場所を灰部屋(灰の収納小屋)とする回答が二三・〇パーセントあった。愛知県の民俗地図をみると、ゴザンの埋め場所を墓地とか共同墓地の不浄場とする事例は県内全域にみられるが、灰部屋とする事例は三河西部にのみ分布する。ゴザンの埋め場所を灰部屋とするのは、安城市の特徴であるといえる。また、集計表の質問番号31では、若い衆(若者組)の集会場所を社寺とする回答が一一・五パーセントあった。愛知県の民俗地図では、その場所を村の集会所や民家などとする事例は県内全域にみられるが、社寺や堂とする事例は三河西南部や三河山間部に分布する。とくに、浄土真宗が広く信仰されている地域では、寺を集会場所とすることが多い。若い衆の集会場所を社寺とするのも、安城市の特徴である。
  無事に出産を終えた母親が日常生活にもどる儀礼をヒアケといった。ヒアケという事例は、愛知県では、 三河北部に分布する。それに対して、この儀礼をハツマイリという事例は、三河南部と尾張に分布する。愛知県の民俗地図からいえば、安城市はハツマイリ地域に入る。集計表の質問番号20でも、ハツマイリという 回答が六〇・七パーセントを示している。しかし、集計表では、三河北部に多くみられるヒアケも三・三 パーセントみられる。また、五月節供に凧を贈答するという事例は、愛知県では、三河東部から遠州にかけて分布する。愛知県の民俗地図からいえば、安城市は凧を贈答する事例の分布域には入らない。しかし、集計表の質問番号11では、凧を贈る・贈ったという回答が一三・一パーセントみられる。安城市におけるヒアケ呼称や凧の贈答の事例は少数ではあるが、それらの事例がみられることから、安城市は愛知県の民俗分布域の境界に位置付けられる。あるいは、安城市は、三河地域の民俗を総合的に捉えることができる地域とも いえる。

   平成十五年三月

  

 あとがき

 市史編集委員(民俗部会)  日 比 野 光 敏
 

 元安城市歴史博物館館長で、今回の市史編集委員会相談役も務められた故神谷素光氏は、かつて手がけら れた『安城市堀内町の民俗』の中で、こんなことを述べておられる。「安城市は、これ(平成四年)まで まったくといっていいほど民俗の未調査地域であった。わずかに昭和三十八年に、愛知県民俗資料緊急調査で桜井町印内地区が対象として選ばれ、ほかに昭和四十二年に、安城市史編さん委員会が新田町の民俗調査を実施した程度であった。ここはもとから純農村地域でありながら、未調査地域であったことは、明治用水の開削によって開発がすすみ、農村の変貌がいちじるしく、民俗的習俗が失われていったとされ、関心が寄せられなかったことに起因している」(同書「発刊によせて」・カッコ内注は筆者)と。
  こうした状況を憂い、名古屋民俗研究会を中心として安城市域民俗調査会が結成され、三か年の調査期間を経て世に出たのが、くだんの『安城市堀内町の民俗』であった。この本は、堀内町という安城市のごく一 部を対象としてまとめられた報告書ではあるが、市域の大半が碧海台地の上に位置し、しかも安城市という土地柄が「農村」と表現されるに支障がないこと、さらにはそれが、三河地方における典型的な農村として一般化されるであろうことを十分に踏まえた上で、調査地が選定されている。すなわち、堀内町が安城市のスタンダードを語るに最も適しているとの判断に基づいて編さんされ、「安城市の民俗の決定版」として高く評価されるべき内容になっている。
  このような完成度の高い業績が発刊された後、われわれは『新編安城市史 九 資料編 民俗』編集企画の話を受けた。きわめて乱暴ないい方をすれば、この『安城市堀内町の民俗』にわずかな加筆をすれば、いや、そのまま転用してもよい、立派な『新編安城市史 九 資料編 民俗』を発刊することができる。すぐれた業績があるがゆえに、われわれのなすべき道は、暗中模索であった。
  その活路が、野地部会長の発案した方式、すなわち、安城市の民俗大辞典を目指すのではなく、民俗研究者が個々の興味関心に応じてテーマを選び、調査報告をしようというものであった。安城市「を」報告するのではなく、安城市「で」報告をするのである。
 具体例を示そう。筆者担当の「第三章第三節 食」では握りずしに関して、いささか長ったらしい説明を加えた。安城市の食の民俗を報告するのが第一義であれば、ここまでの説明は要るまい。しかし、一般家庭において握りずしを作る習慣が日本全国の中できわめて特殊な事例であるという視点に立てば、この点を略記するわけにはいかない。
  安城市民にとっては至極当たり前のことでも、日本国民にとってはめずらしいこともある。そうした視点は、各分野の専門家ゆえに考えることができるものである。愛知県の中で、日本の中で、安城市はこういう 特質を持っているのだと、執筆者は、実は個々の担当ページの中で、静かに主張している。本巻が呈した 「一一面体の安城」とは、そういうことなのである。
  多くの執筆者が試行錯誤しながら、平成十年以来、『新編安城市史 九 資料編 民俗』の調査・執筆・編集作業が続いた。そうして、市制施行五十周年を迎えた今年度、全一一巻の先頭を切って「資料編 民俗」を世に出すことができた。
  最後にお話をうかがった方や貴重な資料をお見せくださった方、有益なご教示をくださった方はもとより、 市当局並びにすべての関係するみなさまに深く感謝申し上げる次第である。また、格別のご協力をいただい た歴代の市史編さん室のみなさまに執筆者を代表してお礼申し上げる。

   平成十五年三月

  

 

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