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更新日:2018年2月16日

新編安城市史3通史編「近代」

 解説  はじめに / あとがき

  

 はじめに

 近代部会長  伴 野 泰 弘

 『通史編 近代』を、ここにお届けする。一昨年六月に『資料編 近代』一冊を刊行したのに続くものである。
 平成十年に近代部会の活動を開始してから十年がたち、二冊を刊行した今だから分かることがある。昭和四十六年刊の『安城市史』(前市史)を執筆された新行紀一先生が、監修者として参加された編集委員会に、委員の一人として出席してきた。その中で痛切に感じたのは、市民からのプレッシャーである。安城には、この地域を自分たちで作りあげてきたという確乎とした実績と自負があった。それが、各種の膨大な地域史誌に結実している。それらは地域の各種研究団体や個人研究者によって作成されたものであり、研究者は二〇〇人を越える。地域史研究者数を他所と比べたことはないが、安城という地域は特別であると実感している。自身で資料を読み研究発表されるこうした方々からの無言の圧力を、時の経過とともに強く感じるようになった。今にして思えば、安城市民ではない我々が乗りこんできたのは、こうした特別な場所であった。

 前市史は、こうした地元地域史の成果を踏まえた一つの達成であると同時に、これを契機に市域の歴史研究がさらに活発化し現在に至る結節点に、位置するものであった。

 近代部会は、前市史の勉強会と各種テーマに即した地元巡検で土地勘を養うことから活動を開始した。その中で、次のことを徐々に重視するようになった。第一に、近代の安城は他のどの時代とも異なる特別な時代であり、それは「日本デンマーク」という呼称に象徴されている。そのことを軸に、この地域の特徴を浮き彫りにすること。第二に、その際には前市史と現在の学問水準を踏まえつつ、日本デンマークをあくまでも過去の歴史として叙述し、二一世紀の今を生きる冷静な目で捉えること。第三に、そのためには、これまで未開拓の新資料を発掘し従来空白になっていた部分や誤りが再生産されてきた部分をただすこと。第四に、歴史学として当然のことであるが、その新資料も含め客観的な資料典拠を示すことによって後世の読者が検証可能なものにすること。先の資料編は、こうした視点・姿勢で編集するように努力した一つの結果である。

 そして今回、資料編のために集めた膨大な資料を踏まえ、この地域の近代を一つの時間軸にそって叙述する通史編にとり組んだ。廃藩置県から敗戦までの全体を、時代状況の質的変化に即して次の4章に区分した。

 第一章では、幕末以来の近世と連続する地域状況から明治二十二年の町村制施行前の近代の始まりまでをとりあげた。この時期は、政治行政制度がめまぐるしく変遷し、その変化の過程を庶民の生活とかかわらせて叙述するようにした。この時期の最大の事件である明治用水の開通については、『明治用水』本文編・資料編など優れた先行研究がある中、これまで未解明の工事費の調達問題に思いきって光をあてた叙述にした。
 第二章では、町村制施行から第一次世界大戦前までを対象とした。この時期は、近代的な行政制度の整備、東海道線安城駅の設置、農商務省農事試験場の開設、愛知県立農林学校(現安城農林高等学校)の開校をはじめとして、さまざまな行政施策が講じられた。農民たちも資本主義市場経済の荒波にもまれながら、新たな商品生産と販売に取り組み、産業組合という互いに産業経済活動のために協力していく組織を立ち上げた。これらが後の日本デンマークを生み出す前提となったことを、それぞれの分野を通じて明らかにした。
 第三章では、第一次世界大戦期から昭和恐慌前までを扱った。この時期が、日本デンマークの時代とほぼ重なる。日本全体で都市化・工業化がすすみ市場経済が拡大して、そのことがこの地域の農業を大きく発展させる前提となっていた。この地域では、その前提条件を最大限に活用するように農業経営が営まれ、組織化と協同化がすすめられ個々人が奮闘した。その結果として豊かな農村社会が出現し、農村文化を生み出した。このことを統計データの系統的な整理と農業構造の徹底的な分析を通して示した。
 第四章では、昭和恐慌から敗戦までを対象とした。昭和恐慌は世界恐慌の一環であり、とくに日本農業への打撃は大きく、市域も例外ではなかった。日本全体が戦争と侵略へと傾斜していく中で、この地域の政治・行政、産業・経済、社会・文化のすべてが国家総力戦体制の構築のために総動員されていく。その中で、かつての豊かな社会も大きな変貌を余儀なくされていった。こうしたことを多くの紙幅を使って述べた。

 また全体として、前市史の記述が比較的手薄であった分野(政治、行財政、選挙、金融、女子教育、文化)に意識して取り組み、少しでも空白を埋めるようにしたつもりである。
 はたして前市史や周辺自治体史、地元の各種地域史(誌)の達成や成果を踏まえ、新たな水準の地域史像を描くことが、どこまでできたのであろうか。ただ、本書がそのための一里塚になれば幸いである。

 平成二十年三月

  

 あとがき

 近代部会編集委員  宇 佐 見 正 史

 

 

 近代部会の発足以来、わたしたち委員が常に念頭に置いていたのは、次の三つの課題であった。第一に、『前市史』をはじめ市域や碧海郡を対象とした多くの近代史研究の蓄積を踏まえ、さらに新たな歴史的事実を明らかにすること、第二に、そうした新史実の掘り起こしのために、市域はもちろん愛知県内外で徹底した資料収集をおこなうこと、そして第三に、近代安城の代名詞である「日本デンマーク」という言葉を、資料に基づいて歴史分析の概念として規定することにより、日本デンマークの展開を単なる歴史のエピソードとしてではなく、明治期から昭和戦前期の日本の経済や社会の変化のなかに位置づけることである。このような課題を掲げながら、安城市出身ではない七人の委員が、勇躍市史編さんに取り組んだのであった。

 とはいえ、近代編の編さんはそれほど容易な作業ではなかった。まず、資料の核となるべき安城町・桜井村役場の行政資料について、『前市史』編さん以降に散逸してしまったものが少なくなく、明治村の行政資料については所在すら確認できないという状況であった。また、市域の工業の中心であった製糸業と綿織物業については、個別企業の経営資料を収集することができなかった。そして、市域の産業・行政・政治などに大きな役割を果たした人物や団体の所蔵資料についても、調査結果は充分に満足のいくものではなかった。

 部会では、こうした資料の不足を補うため、県内外の機関に保存されている公文書や市域の町内会資料、あるいは刊行資料・雑誌類などについての調査・収集を、これ以上は限界というほど徹底しておこなった。そして調査の過程で、政府や県の公文書に市域にかかわる重要な資料が数多く所収されていること、明治三十九年の町村合併以前の旧村行政資料については、相当数が各町内会資料のなかに保存されていること、また、碧南市史資料調査室に明治村関係の資料の一部が所蔵されていることなどが判明した。
 わたしたち委員は、こうして収集した各種の資料をつき合せながら詳細に吟味を重ね、安城の近代史像を彫琢(ちょうたく)していったのである。毎年度末に、編さん事務局の方々とともにおこなった県外資料調査も、今では懐かしい思い出である。ほぼ一〇年間にわたって収集した膨大な資料の保存・公開体制が整備され、今後の地域史研究や近隣の自治体史編さんに役立ててもらうことを心から願っている。 もとより、冒頭で述べた三つの課題が達成されたかどうかは、読者や市民の皆さんに評価していただくほかはないが、本書の刊行を契機に安城の近代史研究がいっそう充実し、さらに新資料の発見・収集が進展することを祈念してやまない。

 『資料編 近代』および本書の編さん過程で、多くの貴重な資料を提供し、利用を快諾してくださった資料所蔵者の方々、資料収蔵・研究機関、図書館に対し、心からお礼申し上げたい。また、資料の所在について貴重な情報を提供してくださった愛知県史編さん委員会近現代史産業経済部会に対し、深甚なる謝意を表したい。近代部会の発足以来、さまざまな面で委員をサポートしてくださった編さん事務局と調査協力員の方々に感謝したい。とくに事務局には、本書の原稿の完成が著しく遷延し、多大なご迷惑をおかけした。この場をお借りして、深くおわび申し上げる。
 なお入稿に際し、部会長・編集委員が、内容の調整をはかるため、全般にわたって加筆と修正をおこなった。

 最後になったが、近代部会の調査執筆委員として、『資料編 近代』および本書の刊行に尽力された小林賢治氏が昨年七月に急逝された。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 平成二十年三月

 

 

 

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